模型懐古録
小学校の頃から遊びといえば、プラモデルでした。ゼンマイで動くミヤマク
ワガタ・ガメラ・サンダーバード2号などを作っては壊しの繰り返しでした。
小学校の高学年になると、スケールモデルに興味が行き、田宮のMMシリーズが
毎月、数点リリースされ、ウォーターラインシリーズも始まり毎月4隻づつリ
リースされ、ゼネコンで走る戦車などもあり、まさにプラモデルの黄金期でした。
開業医の息子であった私は、そのほとんどを買ってもらい、作りまくってました。
中学、高校の頃は、蒸気機関車・電車を求めてあちこちを巡っていました。
模型はプラモデルよりかは鉄道模型のほうへ興味がいっていました。受験とかで
今ほど、熱中していなかったようです。
大学生になり、自動車の免許を取ると、久々に自動車のプラモデルを作り、
グンゼのハイテクシリーズやLSの1/32シリーズを作っていました。田宮のMM
シリーズは”冬の時代”に入っていました。それよりも女の子の興味を引けた
という理由からHOゲージサイズ(1/87)のヨーロッパの建築物の模型をつくり
始めました。ガンプラと同じようにパーツが多色形成で、素組だけで箱絵と同じ
ものが出来上がるキットでした。
医者になり、模型どころではありませんでしたが、休日の病院当直の空き時
間には、手軽さもあって、ヨーロッパの建築物の模型を作っていました。130軒
ほど作ったと思いますが、今自宅にあるのは100軒ほど。30軒ぐらいは、看護婦
さんにあげちゃったようです。
’92年、静岡日赤病院への転勤を命じられ、これが今の模型スタイル(ディ
オラマ作り)の出発点となりました。外を見れば田宮の本社ビルの二ツ星。駅に
は二ツ星の看板。町中を走る二ツ星のトラック。そして初めて見る大きな模型店
(レインボーテン)とその店に展示してある作品群。とどめを刺されたのは、青木
店長よりすすめられた大日本絵画のモデルズ・イン・アクション 1 ノルマンディ
のディオラマ作品集。AFVとそのディオラマに完全にはまってしまい、自宅と病
院とレインボーテンを行き来する生活が続きました。青木店長からは今でこそ定
番となっていますが、塗装にオイルペイントやパステルを使うとか、エッチング
パーツ・連結キャタピラなどを教えてもらい、奥の深さを知りました。(戦車の
プラモデルは大人のホビーであると確信。)
実家を継ぐために、帰郷する直前、青木店長より「タミヤニュースにでて
みない」と言われ、開発課の田村氏と出会いました。(タミヤニュース'95年8
月号 Vol.308) たま、田宮の本社も見学させてもらいました。コンピューター
機器の隣に金属ヤスリが置かれている光景が印象的でした。
実家に帰ってからは、やはり田舎の夜は長い。大型キットやディオラマ
など置き場所も考えずに作りました。静岡ホビーショーにも毎年参加するように
なりました。そこでたくさんの模型人と交流ができ、模型の世界をエンジョイ
しています。
人生80年とすれば、折り返し地点を少し過ぎた今日、時々寄り道はしたも
のの、いつもそばに模型・プラモデルがあったといっても過言ではないと思いま
す。 これからもよろしく。
第40回 静岡ホビーショーをひかえた春の日に
日比 秀夫
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